親教から脱していくきっかけは、「拘束感」への反発でしょう。親の守られてぬくぬくとして、それで満足していられるうちは、まだ本当に子どもなのですからそれでいいのです。けれども、人間は自然に成長していきますので、どこかで親に守られていることに息苦しさを感じ始めます。 
 親のいうことにいちいち腹がたつ、よけいなことに口を出すと感じたら、親教から脱する時期がきたのです。中学生くらいになったら、親がうっとうしいと思うのが正常に成長している証拠と考えてよいでしょう。
 では、いったい何に腹がたつなら、「比べないでくれ」と親に抗議する。服装や髪の毛のことまでいちいち決めつけられるのがうるさいといって、わざわざ金髪に染められたりする子もいます。この
段階では、金髪にするのが彼らの本当の欲望なのかどうかはわかりませんが、とにかく「私は親とは違う」という主張が始まるのです。
 そこでいろいろやってみて、親の口出しから逃れて親離れすると、「何も金髪にしたいわけではなかった」と気づき、今度はもう少しオリジナルな欲望が追求できるようになります。ただし、そこでファッション雑誌のマネをするというまた別の親教に取り込まれていく場合も多いでしょう。そのうちに「ファッション雑誌のマネはもうイヤだ」となって、さらにオリジナルな欲望を追求し始める、というふうに「個別化」していくのです。
 子どもとして親に保護されているうちは、ある程度の「粋」があって当然です。親と子どもは違う人間なのですから、考え方も違います。子どもにとっては「親の考え」という「粋」があることになります。そこにぶつかって、それとは反対のことをやってみて、それも違うんじゃないかともっと広い世間に他の考えを求め、じょじょに自分なりの個性を形成していくのです。

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