母親の願望を満たす娘たち
2008年8月31日 殿方より。 一見、さっそうと自立したキャリアウーマンを演じながら、やはり母親カプセルの中で生きている娘たちもいます。
現代の20代前後の女性たちの母親は、ちょうど女性の生き方が変わり始めた頃に青春を生きてきました。それまでの女性は、子どものためにいきることが当たり前で、たいした疑問は出てこなかったのです。ところが、ここ三十年ほどの間に、多くの女性が大学に進学するようになり、職業を持ち、自由恋愛で夫を選ぶようになりました。
フェミニズム運動が盛んになり、女性も自分自身の目標を持って「自立」して生きていくことが奨励されました。けれども、彼女の親の世代は、夫につくし、子どもにつくす、伝統的な妻・母の役割を当然と思っている世代です。
そこで彼女たちは、一方では社会で自分の能力を発揮することを理想として、もう一方では伝統的な女性の役割を果たすことが当然のように期待される、という迷いの中に置かれました。多くの女性たちは、結婚して妻・母親の役割をとったのですが、一時期は社会である程度までがんばった人たちです。夫のために夕飯をつくって待ち、夫の転勤とともに地方を転々とし、夫と子どものためにつくして、それでも経済的には「養われている」専業主婦という身の上に疑問を感じたのは当然だったでしょう。
こういう主婦の中から「キッチンドリンカー」が生まれました。彼女たちは、自分の生活の空虚さに気づき、その寂しさを埋めようとアルコールにおぼれたのです。
キッチンドリンカーにならなかった母親たちもまた、家庭内に緊張を生み出しました。彼女たちは、その空虚感や抑うつの責任を夫にとってもらおうとしたのです。
「なぜ、私だけが家の中でこんなつまらないことをしていなければならないの?」「あのとき結婚していなければ、私ももっとキャリアを追求できたのに」と、夫に怒りを向けました。
夫のほうは、こうした妻たちの気持ちが理解できず、家で楽に生きている{ように夫たちには見える}くせに、疲れて帰ってきた自分に愚痴をいう妻がうっとうしい。そこで無視したりほったらかしにしたり、妻から逃げて外で遊んだり、怒鳴りつけて黙らせたり、男がどんなにたいへんか、「女の甘さ」を説教してすまそうとしました。
夫と面と向かってコミュニケーションすることをあきらめた妻たちは、娘を味方につけようとし、「不幸な人生」の愚痴をいい、人生相談するようになったのです。ここから、今までの述べてきたような母親カプセルが生まれるのですが、この娘たちの中には、母親が夢見て果たせなかった社会的野心を,代わりに果たしてやろうという健気な娘も生まれてきました。
母親たちの時代には考えられなかったような職種が、現代の女性たちには開かれています。以前に比べれば女性の昇進も多くなり、華やかな独身キャリアウーマンとしてがんばる女性たちが増えています。こうした女性たちの中には、「不幸な」母親の愚痴を聞いて育ち、「私は、家の中だけに縛られて、あんなふうになるのはイヤだ」と、母親の生き方への反発から仕事をしている人も多いでしょう。
彼女たちは、母親の無意識の願望を満たしているので、母親たちも娘のさっそうとした姿を見ることがうれしいのです。世間向けには、「うちの娘も、いつまでも仕事、仕事で結婚もしないで困ったもので」などといってみせながら、内心、さほど娘に結婚してほしいとも思っていない母親も多いのではないでしょうか。
娘たちは、一方では自立したキャリアウーマンでなければならず、一方では母親の望みであるキャリアウーマンであり続けるという依存関係のカプセルからぬけられない。彼女たちもまた、
本当に「自分自身のための」人生を生きているとはいえないのです。
このような娘たちが社会でいきづまって母親の願望を満たせなくなったとき、過食症・拒食症などの摂食障害が起こったりします。こうした病気も、カプセルにひびを入れる、カプセルはずしの一貫なのです。
現代の20代前後の女性たちの母親は、ちょうど女性の生き方が変わり始めた頃に青春を生きてきました。それまでの女性は、子どものためにいきることが当たり前で、たいした疑問は出てこなかったのです。ところが、ここ三十年ほどの間に、多くの女性が大学に進学するようになり、職業を持ち、自由恋愛で夫を選ぶようになりました。
フェミニズム運動が盛んになり、女性も自分自身の目標を持って「自立」して生きていくことが奨励されました。けれども、彼女の親の世代は、夫につくし、子どもにつくす、伝統的な妻・母の役割を当然と思っている世代です。
そこで彼女たちは、一方では社会で自分の能力を発揮することを理想として、もう一方では伝統的な女性の役割を果たすことが当然のように期待される、という迷いの中に置かれました。多くの女性たちは、結婚して妻・母親の役割をとったのですが、一時期は社会である程度までがんばった人たちです。夫のために夕飯をつくって待ち、夫の転勤とともに地方を転々とし、夫と子どものためにつくして、それでも経済的には「養われている」専業主婦という身の上に疑問を感じたのは当然だったでしょう。
こういう主婦の中から「キッチンドリンカー」が生まれました。彼女たちは、自分の生活の空虚さに気づき、その寂しさを埋めようとアルコールにおぼれたのです。
キッチンドリンカーにならなかった母親たちもまた、家庭内に緊張を生み出しました。彼女たちは、その空虚感や抑うつの責任を夫にとってもらおうとしたのです。
「なぜ、私だけが家の中でこんなつまらないことをしていなければならないの?」「あのとき結婚していなければ、私ももっとキャリアを追求できたのに」と、夫に怒りを向けました。
夫のほうは、こうした妻たちの気持ちが理解できず、家で楽に生きている{ように夫たちには見える}くせに、疲れて帰ってきた自分に愚痴をいう妻がうっとうしい。そこで無視したりほったらかしにしたり、妻から逃げて外で遊んだり、怒鳴りつけて黙らせたり、男がどんなにたいへんか、「女の甘さ」を説教してすまそうとしました。
夫と面と向かってコミュニケーションすることをあきらめた妻たちは、娘を味方につけようとし、「不幸な人生」の愚痴をいい、人生相談するようになったのです。ここから、今までの述べてきたような母親カプセルが生まれるのですが、この娘たちの中には、母親が夢見て果たせなかった社会的野心を,代わりに果たしてやろうという健気な娘も生まれてきました。
母親たちの時代には考えられなかったような職種が、現代の女性たちには開かれています。以前に比べれば女性の昇進も多くなり、華やかな独身キャリアウーマンとしてがんばる女性たちが増えています。こうした女性たちの中には、「不幸な」母親の愚痴を聞いて育ち、「私は、家の中だけに縛られて、あんなふうになるのはイヤだ」と、母親の生き方への反発から仕事をしている人も多いでしょう。
彼女たちは、母親の無意識の願望を満たしているので、母親たちも娘のさっそうとした姿を見ることがうれしいのです。世間向けには、「うちの娘も、いつまでも仕事、仕事で結婚もしないで困ったもので」などといってみせながら、内心、さほど娘に結婚してほしいとも思っていない母親も多いのではないでしょうか。
娘たちは、一方では自立したキャリアウーマンでなければならず、一方では母親の望みであるキャリアウーマンであり続けるという依存関係のカプセルからぬけられない。彼女たちもまた、
本当に「自分自身のための」人生を生きているとはいえないのです。
このような娘たちが社会でいきづまって母親の願望を満たせなくなったとき、過食症・拒食症などの摂食障害が起こったりします。こうした病気も、カプセルにひびを入れる、カプセルはずしの一貫なのです。
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